Subject   : 北イスラエル王国とユダ王国の滅亡

カテゴリー  : 歴史  


 北イスラエル王国の滅亡
 紀元前731年にアッシリア王ティグラト・ピレセル3世の臣として王位についた。ホセアの支配圏はエフライムの高原地帯に限られていた。紀元前734年の戦いに敗北して以来、ガリラヤとヨルダンの東地域はアッシリアの支配下にあった。ティグラト・ピレセル3世はこの一連の西進でメギドを征服し、ガリラヤ地方の諸州の行政的首都として用いた。

紀元前727年にティグラト・ピレセル3世が死んだ時、後継者のシャルマネセル5世は広大な領土を維持できないと考え、エジプトへの支援を頼んだ。しかし、シャルマネセル5世はイスラエルを攻撃して、紀元前725年にサマリヤを包囲した。ホセアは3年間アッシリア軍に抵抗したが、紀元前722年に降伏した。ここに北イスラエル王国は滅亡した。

紀元前720年、シャルマネセル5世が死去したためアッシリア軍が一時撤退すると、イスラエルでは王を戴かずに反乱が起こったが、シャルマネセル5世の後継者サルゴン2世によって平定された。

アッシリアの移住政策によって、イスラエル人はペルシア地方に連れて行かれた。アッシリアの碑文によると、サルゴン2世による捕囚は2万8千人近くに上った。代わってバビロンからの移民がサマリヤに定住して、旧北イスラエル王国はアッシリアの一属州になった。
 ユダ王国とバビロン捕囚
サウルの後を継いだダビデ王によって統一された統一イスラエル王国は、ソロモン王の死後、紀元前930年頃に分裂した。南のユダ王国はユダ族とベニヤミン族から構成されており、北のイスラエル王国はそれ以外の十部族からなっていた。もともとダビデの一族の支配から北のイスラエル王国が独立した形となったため、当初ユダ王国では北イスラエル王国を再び制圧して全土を統一しようという意気込みが強かった。

そのため、分裂後の60年間は南北王国の間でたびたび戦いが繰り返された。その後は和解した両国の関係が安定し、ダマスカスなどの共通の敵に対して共同戦線を張ることが多かった。紀元前8世紀の中ごろには両国とも力が充実し、ソロモンの最盛期にも匹敵するほどの国土を獲得した。

しかし、アッシリア帝国が勃興すると紀元前722年に北のイスラエル王国は滅ぼされてしまった。その後ユダ王国はアッシリアに服属する形で存続していたが、紀元前609年にはメギドの戦いの敗北によってエジプトの支配下に入り、最終的に紀元前597年に新バビロニアのネブカドネザル2世の前に屈した。なおしばらくは独立国としての存在が許されていたが、結局エジプトと結んでバビロニアと対抗しようという企てが失敗し、紀元前586年にエルサレム全体とエルサレム神殿が破壊され、支配者や貴族たちは首都バビロニアへ連行されることになった。これをバビロン捕囚という。
 ⇒ 世界史年表

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