Subject : ゲルマン系民族の王国
カテゴリー : 歴史
ゲルマン系民族の王国
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375年、フン族に追われた西ゴート族が移動すると、西ゴート族に追われた部族が移動しを開始し、玉突きのようなゲルマン民族の大移動が起こった。これらの部族は各地に王国を建設した。
- ● 西ゴート王国
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バルト海のリトアニア付近に住んでいた西ゴート族は、375年にローマ帝国領内に進入する。ローマの傭兵だった西ゴート族は次第に力をつけ、410年にはアラリックがローマを制圧する。アラリックの死後ガリアに移住、バルセロナを占領し、419年にトロサ(トゥールズ)を首都とする西ゴート王国を建設した。
507年、西ゴート王国はヴィエの戦いでフランク族に敗れ、ガリアからイベリア半島に逃れた。首都はトレドで、基本的にローマ時代と同じ統治を踏襲した。そして、589年にはアリウス派からカトリックに改宗した。
やがて、イスラム教徒によって地中海の貿易ルートが遮断され、西ゴート王国は次第に衰退していった。また王位をめぐる争いが起こり、チンダスビント家のロドリーゴが国王に就任すると、対立するバンパ家はアフリカのイスラム教国に支援を求めた。
- ● 東ゴート王国
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フン族から独立した東ゴート族は、テオドリックに率いられてイタリアに入る。489年に東ローマの要請でオドアケルを倒してイタリアを支配し、493年に東ゴート王国を建国した。
552年に東ローマ帝国のユスティニアヌス帝に滅ぼされる。
- ● ヴァンダル王国
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ヴァンダル族はガリアを追われてスペインに移るが、そこも西ゴート族に追われる。ガイセリック王は一行を率いてアフリカに渡り、ヴァンダル王国を建てた(439年)。彼等は地中海の海賊となり、455年にはローマを略奪した。ヴァンダル(vandal、vandalism)とは「略奪者」の意味。534年、ユスティニアヌス帝に滅ぼされる。
- ● ブルグント王国
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443年、ブルグント族はリヨンを首都にブルグント王国を建てるが、534年にフランク王国に滅ぼされた。ドイツの叙事詩「ニーベルンゲンの歌」にこの部族が出てくる(英雄ジークフリートとブルグント族の皇女クリームヒルトの話)。
- ● フランク王国
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ゲルマン民族の一派フランク族は、ローマ帝国が弱体化すると徐々にガリア(フランス)に侵入し、勢力を拡大していった。西ローマ帝国滅亡後もガリアはローマの司令官シャグリウス(Syagrius)が支配していた。しかし、フランク族のクローヴィス1世(Clovis)が反旗を翻し、ソワソンの戦いでシャグリウスを破った(486年)。これにより、ローマ人によるガリア支配は終わり、クローヴィスは周辺のブルグンド族や西ゴート族を駆逐してガリアの支配者となった。
496年、クローヴィスは王妃クロティルダ(Clotilda)の勧めでランス大司教サン・レミから洗礼を受け、キリスト教に改宗した。これ以後、歴代のフランス王はランスで戴冠式を行うようになった。他のゲルマン諸族は異端のアリウス派を信仰していたが、フランク族は正統のアタナシウス派だったため、ローマ系住民やカトリック教会と良好な関係を保つことができた。
508年、彼は北ガリアにパリを首都とするフランク王国を建設した。クローヴィスの祖父の名はメロヴィクスで、その名前からこの王朝はメロヴィング朝と呼ばれた。
- ● アングロサクソン王国
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ローマ帝国がブリタニアを放棄した後、デンマークやドイツにいたアングロ・サクソン人がイギリスに渡り、七王国を建てた。
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