Subject   : イスラムのイベリア半島進出

カテゴリー  : 歴史  > 


 イスラムのイベリア半島進出
 イスラム帝国は東ローマ帝国からエジプトを奪還し、西方のマグリブ(日が没するところ:チュニジア、アルシェリア、モロヅコなどの北アフリカ)に向かって進撃した。698年に、カルタゴを占領、707年にモロッコを制圧する。

 711年、アフリカ総督ムーサーは、ベルベル人ターリクにスペイン攻略を命じ、7000人の部隊がジブラルタルに上陸した。北部パンプローナでバスク人と戦っていた西ゴート王ロドリーゴは急遽南下するが、グアダレーテ川付近でイスラム軍に破れる。勢いに乗ったターリクは、トレドに向かい、また別働隊をコルドバやムルシアに派遣した。

 翌年、ムーサーは1万8千の軍勢を率いて上陸し、数ヵ月かけてセビリアを攻略、その後メリダやマラガを征服し、トレドでターリクと合流した。両軍は、サラゴサ、タラゴーナ、バルセロナ、リスボンを次々と落としていった。

わずか数年で、カンタブリア山脈とピレネー山脈を除くイベリア半島の大部分がイスラムの支配下となり、アル・アンダルスと呼ばれるウマイア朝の属州が生まれた。首都はコルドバ。ウマイヤ朝はアミールと呼ばれる総督を派遣した。

 アル.アンダルスの大多数は、キリスト教徒(モサラベ)とイスラムに改宗したムワッラドであった。キリスト教徒は人頭税を支払って、土地の所有と信仰の自由を得た。ユダヤ人も、信仰の自由と自治を保証された。また、サカーリバと呼ばれるスラブ人などのヨーロッパ人奴隷も多く住んでいた。

 征服者のイスラム教徒は一枚岩ではなく、アラブ人とベルベル人の対立、アラブ人とシリア人との確執があった。また、多様な宗教と民族を抱えたアル・アンダルスの政情は不安定で、716〜741年の間に15人もの総督が交代した。

 その後、フランスにも進出するが、732年トゥール・ポワティエ間の戦いでカール・マルテルに敗れ、イベリア半島に封じ込められた。



<出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 >
 ⇒ 世界史年表

[メニューへ戻る]  [HOMEへ戻る]  [前のページに戻る]