Subject : トゥール・ポワティエ間の戦い
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トゥール・ポワティエ間の戦い
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イスラム軍はボルドーを攻略後、ポワティエの聖イレーヌ教会を略奪、トゥールの聖マルチン聖堂(SaintMartin)に向かって進軍してきた。カール・マルテルはこれを向かい撃ち、7日にわたる激戦の末に撃退した。これがトゥール・ポワティエ間の戦いである(732年)。フランク軍はヨーロッパとキリスト教世界を守った。
戦いに敗れたとはいえイスラム軍は依然として強力だった。進路をフランス西部から南東部にとり、734年にアルルとアヴィニヨンを攻略した。
カール・マルテルがプロヴアンス地方からイスラム教徒を追い払ったのは738年になってからで、息子のピピン3世がナルポンヌを奪回したのは751年だった。これ以降、イスラム勢力はイベリア半島に封じ込められた。
カール・マルテルは、737年から742年の間国王を置かずに王国を統治し、フランク王国の実権を握った。カールマルテルの死後、小ピピン(ピピン3世)が宮宰となり、751年にメロヴィング朝最後の皇帝を廃して王位につき、カロリング朝(Karolinger:751〜987)を開いた。
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