Subject   : カペー朝(フランス)

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 カペー朝(987〜1328)
フランスの王朝,通常はユーグ=カペーからシャルル4世にいたる王朝(987〜1328)をさす。

カペー家は,アンジュー=ブロア伯ロベール=ル=フォールを創始者とするが,その子パリ伯のウード(在位888〜898)とロベール1世(在位922〜923)がカロリング朝の衰微に乗じて西フランク(フランス)王に選ばれ,ロベール1世の孫ユーグ=カペーがその実力を評価されて,987年フランス王に即位してカペー王朝を開いた。 しかしユーグ=カペーの王位は必ずしも安泰でなく,各地に分立していた公伯や,とくに「カロリング朝残流の動き」に悩まされたが,即位後、長子ロベールを戴冠させ,父王の存命中に後継子の即位を確保する風を開いた。

● カペー朝の変遷
ロベール2世(敬虔王,在位996〜1031)は学識の深い敬虔な王で,結婚問題に苦しみながらも王領の拡大につとめ,ブルゴーニュ公領の支配に成功した。

彼の後,1027年に戴冠式をすませていたアンリ1世(在位1031〜60)は末弟ロベールを支持する母后の反乱やブロア伯の抵抗をうけ,そのときに支援を受けたアンジュー伯ジェフリー=マルテルやノルマンディー公ウィリアムの台頭を許した。

つぎのフィリップ1世(在位1060〜1108)は,イギリス王となったノルマンディー公ウィリアム(征服王)の攻勢に苦しむが,公の長子ロベールを利して巧妙な政策を展開した。 このとき第1回十字軍がなされている。 王は聖職者叙任権の主張・不義な結婚で,教皇ウルバヌス2世から破門宣告を受けたが,晩年実権を長子ルイに譲った。

ルイ6世(在位1108〜37)は王領地内の貴族の無法に苦しんだが,つぎのルイ7世(在位1137〜80)はアキテーヌ公ギョーム10世の後継者エレアノールと結婚してアキテーヌを領有し,さらに王権の高揚をはかり,ブールジュ大司教叙任をめぐってローマ教皇と対立した。 1147〜49年,第2回十字軍に出たが,1152年エレアノールと離婚。 そのエレアノールと結婚したアンジュー伯アンリが,1154年にイギリス王ヘンリ2世となったため,アキテーヌをはじめフランス西半分の支配をヘンリ2世に許すこととなり,カペー王朝は国内封臣に宿敵をつくることとなった。

次のフィリップ2世(在位1180〜1223)は第3回十字軍遠征中,イギリス王リチャード1世と仲違いし,次のイギリス王ジョンの失政に不満をもったポアトゥー貴族の訴えを受けて,1202年ジョンをフランス王廷に召喚した。 しかしジョンは出廷せず,不義を働いたので,王は1204年ノルマンディーを政略してアキテーヌを除くジョンの大陸領を没収し,イギリス王の支配を駆逐してフランス統一への途を開いた。(カペー朝によるノルマンディー侵入) さらにアルビジョワ十字軍・第2回アルビジョワ十字軍を派遣して,南フランスにも王権を伸展させ,「バイイ」と呼ばれる行政官を派遣して王領地の司法行政機構を監督させ,地方貴族や都市コミューンとも提携し,王の保護権を伸長させ,封建社会における王の至上権を強調して,フランス封建王政の基礎を固めた。

この政策はルイ8世(在位1223〜26)を経て、ルイ9世即位(聖ルイ,在位1226〜70)に受け継がれる。 彼は信仰の篤い王で、第6回十字軍に出たのち,王廷に法曹家を登用して,全フランスの最高法廷とし封建的法秩序の維持をはかり,イギリス王ヘンリ3世とパリ条約(1259)を結んで両国間の紛争を解決した。 また、新しく登場したモンゴル帝国に対して___を派遣している。 1270年再度第7回十字軍に出たが病没。

その後ルイ9世に従って十字軍に出征していたフィリップ3世(在位1270〜85)が即位したが意志薄弱であった。 しかしナヴァラ王家と姻戚関係を結び,シチリアの晩鐘事件に介入してアラゴン王国成立に対してカペー王朝最初の外国遠征軍をおこして失敗。 王弟ロベールの子ルイからブルボン家がおこった。

その後フィリップ4世即位(端麗王,在位1285〜1314)は結婚でナヴァラ王を兼ねたが,フランス王権を強調するあまり,僧侶への課税問題で教皇___と争い,1302年、初めて三部会が開かれると、その支持を求め,翌年アナーニ滞在中の教皇を逮捕し(アナーニ事件),1305年にはフランス人教皇クレメンス5世を立てて,1309年教皇庁をアヴィニョンに移して,これを支配した。(バビロン捕囚) 弟シャルルはヴァロア家をおこす。

その後ルイ10世(在位1314〜16)・ジャン1世(在位1316)・フィリップス5世(在位1316〜22)が立ち、フランス王の高い権威は維持されたが,実権は振るわなかった。

シャルル4世(1322〜28)の死でカペー王朝の男系が断絶し,ヴァロア家のフィリップ6世に受け継がれていった。ヴァロワ朝成立

<出典: 日本大百科全書(小学館) >
 ⇒ 世界史年表

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