Subject   : 第3回十字軍

カテゴリー  : 歴史  > 


 第3回十字軍
1187年、サラディンは十字軍に対する聖戦を呼びかけ、3万の大軍を率いて出撃、ガリラヤ湖北西のティベリアを攻撃した。これはおとり作戦だった。これに引っかかったエルサレム王は十字軍国家や宗教騎士団などから2万の軍を出撃させた。先を急ぐ十字軍は水もないまま一日中行軍し、八ッティンの丘で野営した。真夏の日が昇ると丘はイスラム軍に包囲されており、十字軍は壊滅的な敗北を喫した(ハッティンの戦い:Hattin)。

 勢いに乗るイスラム軍はアッコやベイルートなどの沿岸都市を次々と征服し、ついにエルサレムを奪回した。 この事態に教皇グレゴリウス8世は、新たな十字軍を呼びかけた。これに応じたのが、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世、フランス国王フィリップ2世、イングランド国王リチャード1世だった。

 1189年、フリードリヒ1世は、第一陣として出発、ルーム・セルジューク朝の首都コンヤを占領した。しかしフリードリヒはサレフ川で溺死しドイツ軍は解散した。1191年、リチャード1世とフィリップ2世は海路でパレスチナに上陸し、アッコンを攻略した。しかし、両者で主導権争いが起こりフィリップは帰国してしまった。

 単身パレスチナに残ったリチャード1世はサラディンと激しく戦った。一時はエルサレム目前にまで迫ったがそれ以上は進めず、軍勢は疲弊していった。1192年、1年以上の交渉の末、アッコンなどのいくつかの港をエルサレム王国の管理下に置くという休戦協定を結び、第3回十字軍は解散した。この十字軍が聖地回復を目的とする最後の十字軍となった。

 エルサレムは奪還できなかったがエルサレム王国は存続し、アッコンが事実上の首都となった。



<出典: 日本大百科全書(小学館) >
 ⇒ 世界史年表

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