Subject   : 東インド会社 

カテゴリー  : 歴史  > 


 東インド会社
イギリス、オランダ、フランスなどで、東洋貿易実施のため17世紀初めに設立された独占的特許会社。設立の年はイギリスが1600年、オランダが02年、フランスが04年であるが、フランスの場合は、64年に再組織されるまで活動せず、三国のうちでもっとも不振であった。

15世紀末以来の相次ぐ大航海により、ポルトガル、スペインの両国はそれぞれ東回り、西回りの航路で東洋貿易に進出した。コロンブスは新大陸発見のとき、これをインドの一部と誤認し、「西インド」の名称でよんだが、真相が知られてからも、便宜上従来の東洋貿易の目的地を「東インド」とよぶ習慣ができた。この東インドの産物のうちでもとくにヨーロッパ市場で喜ばれたのは、胡椒(こしょう)、丁子(ちょうじ)、肉豆(にくずく)などの香辛料(香料)であった。このため、香料の原産地であるモルッカ諸島(香料諸島)の争奪が繰り返され、やがて16世紀末になると、新教国であるイギリスとオランダの両国もこの競争に加わるようになった。

ポルトガル、スペインの場合、海外貿易は王室の独占事業で、本国の身分制度を反映した階級制が保たれていた。一方イギリス、オランダの場合は、中世末期に地中海沿岸で発達した経営形態を受け継いで、商人仲間が共同出資で貿易を行い、あとで利益を分配する初期資本主義的な性格を備えていた。しかし東インド貿易が盛んになると、次々に小会社が設立され、同国人の間での過当競争の結果、利潤は減少した。たとえば、1595年から1602年までの間に東インドに渡航したオランダ船隊は14、船数は65隻と伝えられる。

イギリスの場合も、すでに16世紀中ごろからいくつかの会社が存在していた。1600年エリザベス1世は東インド会社British East Indian Companyに特許状を与えて、東インド貿易を一手に行わせることにした。特許状には貿易のみならず、海外での法律作成、同国人の密貿易処罰、条約締結、戦争遂行、貨幣鋳造などについての決定権が定められ、会社というよりは一独立国家に等しい権力を備えていた。2年後に成立したオランダ東インド会社Vereenighde Oost Indisch Compagnieも、ほぼ同様の特権をオランダ連邦議会から与えられた。イギリスの会社に比べて資本額は10倍であり、また航海ごとに会社を設立、解散せずに恒常的な組織を保つ世界最初の株式会社と称される。しかし、この会社の前身である六つの会社は、統合後も陰に陽に対立を続け、アムステルダム支部が優位を保った。また重役会は会社の経理を公開せず、配当を恣意(しい)的に行うなど、非民主的な点が多く、たびたびの改革要求にもかかわらず、18世紀末の解体に至るまでほとんど変わらなかった。



<出典: 日本大百科全書(小学館) >
 ⇒ 世界史年表

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