Subject : アステカ帝国滅亡(1521年)
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アステカ帝国滅亡(1521年)
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1519年、白人(スペイン人)のコルテスがベラクルス(メキシコのメキシコ湾側)に上陸すると、彼らはインディオたちに手厚く迎えられた。
それはコルテスたちがインディオたちに白い神ケツァルコアトルの化身と勘違いされたからであった。
アステカ皇帝モクテスマ2世は黄金製の宝物で歓迎した。
白人はこの宝を略奪してヨーロッパに帰国すれば大金持ちの英雄になれると考えた。
コルテスらを歓迎する皇帝派と、排除しようとする反対派とが抗争をはじめることとなり、反対派が皇帝モクテスマ2世を殺し、コルテスらは命からがら逃げ延びた。
アステカ人はモクテスマ2世のあとに新王クイトラワックを選んで団結していたが、スペイン軍が持ち込んだ天然痘が蔓延して、在位わずか80日でクイトラワックは死亡し、25歳の勇敢な戦士クアウテモックを王に推戴した。
やがて金銀財宝に目がくらんで何も見えなくなっているコルテスは、5万人もの連合軍を率いてアステカに侵攻を始める。圧倒的兵力と近代兵器にアステカ人たちはなすすべなく、多くのアステカ人たちは虐殺され、女性は強姦され、あるいは奴隷となった。そのような中でクアウテモック王が捕らえた。
アステカ王クアウテモックは、コルテスによって衆人の前で絞首刑に処された。この瞬間、アステカは滅亡したのであった。
コルテスのアステカ帝国征服はヨーロッパに伝えられ、ヨーロッパ人の武器と勇気と技術の勝利と称賛された。
これが動機となり、ヨーロッパ人の新大陸侵略、略奪の夢を駆り立てることとなった。
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<出典: 日本大百科全書(小学館) >
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