Subject : 普仏戦争
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普仏戦争
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プロイセンは北ドイツ連邦と南ドイツのバーデン大公国、ヴュルテンベルク王国、バイエルン王国と同盟を結んで、全ドイツを挙げて戦争に臨んだ。戦争はプロイセン側の圧倒的勝利に終わり、プロイセンを中心にしたドイツ統一が達成され、ドイツ帝国が成立した。対してフランスでは自らも捕虜となったナポレオン3世の権威が完全に失われ、第二帝政は終焉を迎えて第三共和政に移行した。
戦争はスペイン王位継承問題でプロイセンとフランスの対立が最高潮に達した時に発生した。ドイツ首相ビスマルクはエムス電報事件でフランスを嘲笑する行動を行い、激昂に駆られたフランス国民の支持を背景にフランスは戦争を始めた。ドイツ諸邦の参戦を恐れたフランスは7月19日にプロイセンのみに宣戦したが、ドイツ諸邦は自発的にプロイセン側に立って参戦した。野戦砲と鉄道輸送を巧みに活用したプロイセン軍の精強さは、ドイツ国境に侵攻したフランス軍を叩きのめした。防戦一方となったフランス軍は9月2日にセダンの戦いで包囲に置かれ、10万人のフランス兵と皇帝ナポレオン3世が降伏した。
ナポレオン降伏後は第二帝政政府に代わり、第三共和政政府(臨時政府)が戦争を指導することになった。だが新たに編成されたフランス軍も帝政時代と同じくプロイセン軍に一蹴され、5ヶ月間の北フランス攻撃を経て、1871年1月28日に首都パリを占領された。パリ陥落の10日前にプロイセン王ヴィルヘルム1世は征服したフランスのヴェルサイユ宮殿で盛大な戴冠式を行い、ドイツ皇帝に即位した。パリ占領後の1871年5月10日、フランクフルト講和条約が締結され、正式にフランスはプロイセンに降伏した。
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<出典: 日本大百科全書(小学館) >
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