Subject   : クセルクセス1世

カテゴリー  : 歴史  


 クセルクセス1世 
 アケメネス朝ペルシアの国王でペルシア戦争を継続し、一時アテネを占領した。

アケメネス朝ペルシア帝国第4代の王で、ダレイオス1世の子。在位前486〜465年。ギリシア遠征の失敗した後に死去した父ダレイオス1世の意志を継ぎ、前480年に自ら大軍を率いふたたびギリシア遠征に向かった(第3次ペルシア戦争)。ダーダネルス海峡を押し渡り、ギリシア本土を南下、テルモピュライの戦いでスパルタ陸軍を破り、ついにアテネに入りいったん制圧に成功した。しかし同行したペルシア海軍が、アテネのテミストクレスに率いられた海軍と戦い、サラミスの海戦で大敗を喫し、クセルクセスは戦闘意欲を失いペルシアに引き揚げた。

翌年、ギリシアに残ったペルシア軍は、ふたたびアテネ・スパルタ連合軍とプラタイアの戦いで敗れ、さらに海軍もミュカレの海戦でふたたびアテネ海軍に敗れ、ペルシア帝国のギリシア遠征は失敗に終わった。ペルシアに戻っていたクセルクセスはその後部下の謀反にあい、殺害された。

● テルモピュライの戦い
 ペルシア戦争でペルシア軍がスパルタ軍を全滅させた戦い。 前480年、テルモピュライ(テルモピレー)の隘路で南下するペルシアの20万の大軍とスパルタのレオニダス王が率いるわずか300の兵の激闘で有名な戦い。スパルタ軍は奮戦むなしく全滅し、レオニダス王も戦死した。ペルシア軍はここを突破してアテネを蹂躙したが、サラミスの海戦で敗れ、クセルクセス1世はペルシアに引き揚げる。 レオニダスが率いたスパルタの三百人隊というのは、後継ぎの子供のある者たちだけの中から選りすぐった伝統の部隊。他のポリスの軍はペルシア軍に対する戦意が無く、南下するペルシア軍に立ち向かうのはスパルタ軍だけとなった。テルモピュライはアテネの北方にあり、山と海にはさまれた隘路となっており、ペルシア軍を阻止する戦いに選ばれた。現在は海岸がはるかに後退して内陸になっている。 スパルタ人の奮戦は目覚ましく後世に伝えるに足るものがあった。戦術を究め尽くしたものと戦うすべを弁えぬもの戦いであることを、まざまざと示した戦いぶりであったが、中でも特筆すべき戦法は、敵に背を向けると一見敗走するかのごとく集団となって後退するのである。ペルシア軍は敵の逃げるのを見ると喊声を挙げすさまじい音響を立てつつ追い迫る。スパルタ軍は敵の追いつくころを見計らい、向き直って敵に立ち向かうのである。この後退戦術によってスパルタ軍は無数のペルシア兵を倒したのであった。

  ⇒ 世界史年表

[メニューへ戻る]  [カテゴリー一覧へ戻る]  [HOMEへ戻る]