Subject : エジプト文明
カテゴリー : 歴史
エジプト文明
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ギリシアの歴史家ヘロドトスは「エジプトはナイルの賜物」と言ったように、ナイル川はエジプトに豊富な水と沃土をもたらした。その流域には多くの人々が暮らし、川の氾濫時期を知るために正確な暦を持ち、氾濫後に農地を復元するために測地術が発達した。エジプトの暦はローマでユリウス暦に発展し、測地術はギリシアの幾何学に影響を与えた。
- ● 初王朝時代
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エジプトは周囲を海と砂漠に囲まれ、メソポタミアのような民族の侵入はなく、静かに独自の文化が発達した。メソポタミアやギリシアとの交流も盛んで、シュメール人の文字をもとに象形文字ヒエログリフが作られた。
ナイル川を治水するためには住民を統率する指導者が必要で、村落(ノモス)は次第に強いものに統合されていった。そして、ナイル川下流の下エジプトと上流の上エジプトの2つの国ができ、王(ファラオ)による神権政治が行われた。BC3100年頃、上エジプトのナルメル王が上下エジプトを統一し、統一国家エジプトが誕生した。これが第1王朝で、古代エジプトではこれ以降2800年にわたって30の王朝が交代した。
- ● 古王国時代
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第3王朝から第6王朝までを古王国時代といい、安定した平和な時代が続いた。首都はメンフィス(Menphis)で、シナイ半島や金が採れる南のヌビアにも進出していった。貿易も活発で、アフリカ内陸部やソマリアと盛んに交易した。ピラミッドが大々的に建設されたのはこの時期で、第3王朝のジェセル王の階段ピラミッドが最初に建設され、第4王朝にはギザに大規模なピラミッドが建設された。
第5王朝になるとピラミッドの建設は下火になり、代わりに太陽神殿が建設されるようになった。第6王朝の末期には各地に諸侯が乱立して国は分裂状態となった。この状態は第10王朝まで続いた。
- ● 中王国時代
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BC2060年、テーベ(現在のルクソール)のメンチュヘテプ2世(Mentuhotep)がエジプトを再統一し第11王朝を開いた。その後有能な君主が現われて平和な時代が続き、大規模な葬祭殿や神殿が建てられた。
BC1730年頃、シリアから遊牧民ヒクソス(Hyksos)が馬と戦車で侵入し、アヴァリスを拠点とする王朝を作った(第15、16王朝)。ヒクソスは1世紀にわたってエジプトを支配し、クレタと盛んに交易した。ヒクソス人は徐々にエジプトに同化していった。
- ● 新王国時代
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エジプトの古王国(大ピラミッドが造られた時代)・中王国に次ぐ諸王朝。前1570年頃、ヒクソスに対抗してエジプト人の統一国家を再建したのがテーベのセケネンラー2世で、第17王朝から20王朝までの約500年間を新王国という。
エジプトが最も栄えた時代で、ツタンカーメン王、ハトシェプスト女王、ラメセス2世など有名な王が多い。新王国は領土拡張に務め、第18王朝第3代のトトメス1世は、シリア・パレスチナに出兵し、ミタンニと戦い、その地を占領し、さらにトトメス3世はメソポタミアにも進出し領土を最大に広げた。 新王国時代の歴代の王の墳墓として築かれたのが「王家の谷」である。アメンホテプ4世の時代の「アマルナ革命」で一時混乱したが、次いで第19王朝のラメセス2世(ラメセス大王)は西アジアに進出し、ヒッタイトの戦い(前1286年、カデシュの戦い)、領土を確保した。この時代には、今に残るカルナック神殿、ルクソール神殿、アブシンベル神殿など巨大な神殿が建造された。
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