Subject : 春秋時代(中国)
カテゴリー : 歴史
春秋時代(中国)
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東周の勢力は衰えたのち、諸侯が争う乱世春秋時代となった。それでも周王室は王として諸侯から尊ばれていた。この時代に活躍した諸侯は、斉の桓公、晉の文公、楚の荘王、呉の夫差、越の勾践で春秋五覇と呼ばれる。
太公望を始祖とする斉は、15代目の桓公と宰相管仲により強国となった。南の楚を破り、BC651年に周王に代わって諸侯の盟主(覇者)となった。しかし、管仲の死後、国は乱れ衰退した。
第2の覇者は晋の文公である。文公は後継者争いに巻き込まれ、国外に去った。10数年の放浪の末、BC637年に秦の助けを得て晋公の座に就いた。文公はBC632年に楚を破り、覇者となった。
次の覇者は楚の荘王である。荘王は周辺諸国を次々と支配下におき、BC606年、洛邑に迫り周王室に圧力をかけた。さらに鄭の都を包囲し、これを救援に来た晋を破り覇者となった。
長江流域の呉は、闔閭(こうりょ)の時代に孫子を参謀にして力を伸ばした。闔閭は越の勾践に敗れるが、息子の夫差(ふさ)が仇を討ち、BC494年に越を滅ぼして覇者となった。しかし20年後、服属した越の勾践(こうせん)が反撃し、呉は滅亡した。越も勾践の死後は衰え、楚に滅ぼされた。
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