Subject : バビロン第1王朝(古バビロニア)
カテゴリー : 歴史
バビロン第1王朝(古バビロニア)
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紀元前1900年頃、アムル人がメソポタミアに築いた古バビロニア王国のこと。
セム語族遊牧民でアムル人(アモリ人は、前2000年紀前半のメソポタミアに、シリア砂漠から侵入しその中・下流域であるバビロニアを支配して、イシン、バビロン、ラルサなどの都市を形成し、シュメール人のウル第3王朝にかわって次第に有力となり、紀元前1900年頃、バビロンを都にバビロン第1王朝を築いてメソポタミアを支配した。その全盛期の王がハンムラビ王である。
セム系遊牧民アムル人が西方からティグリス・ユーフラテス川中下流域のバビロニアに侵入し、紀元前1900年頃バビロンを都に建設し、メソポタミア文明を発展させ、前18世紀のハンムラビ王の時に全盛期となった王朝。バビロニアはメソポタミア中部地域をさす。王朝名としては、後の新バビロニアと区別して「古バビロニア王国」ともいう。アムル人はシュメール人(ウル第3王朝)を征服したが、楔形文字などその文化を取り入れ、メソポタミア文明の最盛期を生み出した。
その全盛期の王がハンムラビ王で、彼は周辺の諸国を征服してメソポタミアの統一を回復し、交通網を整備、さらにハンムラビ法典をつくったことで有名である。
バビロン第1王朝はハンムラビ王の死後急速に衰え、カッシートなどに圧迫され、最終的にはヒッタイトによって前1595年に滅ぼされた。ここまでを「古バビロニア時代」ともいい、メソポタミア地域だけの時代が終わり、オリエントの統一という世界国家の段階にはいる。
- ● ハンムラビ王
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前18世紀ごろのバビロン第1王朝の王。メソポタミア統一を再現し、法典編纂、駅伝制整備や灌漑用水路の建設などを行った。
アムル人が築いたバビロン第1王朝の第6代の王。在位紀元前1792〜1750年頃(注)。北方のアッシュールやマリなどの王国を征服して、メソポタミアの統一を再建した。官僚と軍隊を整備し、駅伝制や灌漑用水路の建設を行い、交易・商業を保護し、バビロン第1王朝の全盛期をもたらした。この王の時に制定されたハンムラビ法典は、復習法などの原理を含み、体系的な法体系として有名であるが、現在では先行したシュメール法典を継承したものと考えられている。
王国内の諸民族を統一的に支配するために、法典の整備に務め、全282条からなるハンムラビ法典を制定した。「目には目を、歯には歯を」という復讐法の原理のほか、平民と奴隷の厳しい身分の区別の既定などが見られる。また、犯罪が故意に行われたか、過失によるのかによって量刑に差が設けられていた。また、当時の社会には、上層自由人(アウィールム)と一般自由人(ムシュケーヌム)、それに奴隷という三つの社会階層、身分があったことがわかる。刑罰も、身分ごとに異なっている。
なお、この法典は、アッカド語で書かれ、楔形文字によって碑文が刻まれている。
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人類の進化
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