Subject   : リディア王国

カテゴリー  : 歴史  


 リディア王国 
 前7〜6世紀、4国分立時代の小アジアに生まれた国家。

前7世紀〜前546年、4国分立時代の小アジア(現在のトルコ)西部にあったインド=ヨーロッパ語族系統の王国。リュディアとも表記。都はサルデス。前612年にアッシリア帝国滅亡した後の4国分立時代の一つで、商工業が発達し、前7世紀に世界で最初の貨幣を使用したことで知られる。リディア王国はイオニア地方にも隣接し、ギリシア文化にも大きな影響を及ぼした。しかし、東方のイラン高原に起こったペルシアに次第に圧迫され、前546年にペルシアのキュロス2世によって滅ぼされた。

 ヒッタイト滅亡後アナトリアでは、ゴルディオンを首都としてフリギュア(印欧系)王国が支配したが、前685年ゴルディオンが遊牧民族キンメリア人に略奪され、滅びた。この王国は不明な点が多いが、伝説と考古出土物が示すところによれば、建築・美術・技術・音楽などでギリシア文明の先駆けをなしたと考えられる。

 この後リディア人(印欧系)のギュゲス(在位前685〜657年)がアッシリアの援助を受け、キンメリア人を撃退、首都をサルディスとしてリディア王国を建てた。また世界で初めて貨幣を鋳造した。しかし、再び侵入したキンメリア人のために敗死した。  サルディスにはギリシア人が多数住みつきギリシア文化が浸透する一方、イオニア地方のギリシア都市ではオリエントとの接触で東方の技術・学問・宗教が伝えられ、前6cイオニアのギリシア人の間で、哲学を中心とした輝かしい文化的発展が突如として起こった。

 4代王アリュアッテス(在位前610〜560年)はキンメリア人をアナトリアから追い払い、新バビロニア王ネブカドネザルと講和、メディア王キュアクサレスと戦った。次王クロイソス(在位前560〜546年)は、アナトリア西岸のすべてのギリシア都市を征服し、アナトリア東部でペルシア王キュロスと戦ったが、やがてキュロスによりサルディスを陥落され、クロイソスが捕虜となってリディア王国は滅亡した。以後リディアはペルシア帝国のサトラペイア(州)となった。

● 最後のリディア王クロイソス
 「平和より戦争をえらぶほど無分別な人間がどこにいるだろうか。平和の時には子が父の葬いをする。しかし戦いとなれば、父が子を葬らねばならない。・・・」 このことばは、ヘロドトスの『歴史』に見える、リディアのクロイソス王の言葉である。リディアはアケメネス朝ペルシアのキュロス2世に攻撃され、その王クロイソスは首都サルデスで捕らえられ、火あぶりにされることになった。燃えさかる薪の上でクロイソスがアポロンの神に祈ると、突如雲があつまって大雨になり、火が消えてしまった。キュロス王はクロイソスが神に愛された立派な人間だと知り、彼を薪の上からおろし、「わしの友とならず敵となったのはだれのしわざか」と訊ねた。それに対する答えの一節が先ほどの言葉であった。その言葉を聞くとキュロス王はクロイソスを傍らに座らせ丁重にもてなし、その後もご意見番として重んじた。

  ⇒ 人類の進化
  ⇒ 世界史年表

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