Subject : ミトラ教
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ミトラ教
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西アジアにあった原始的な密儀宗教。ローマにも入り大きな影響を与えた。
もとはアーリヤ人の太陽神(光明神)であるミトラ神(ミスラ神)をまつる密儀宗教であり、西アジアではイラン高原でゾロアスター教が成立する前からイラン人に信仰されており、アケメネス朝ペルシア帝国の時代に小アジアにまで広がっていた。前1世紀にローマのポンペイウスが小アジアを征服しことを機にローマに伝えられたという。共和政ローマから帝政ローマ時代の価値の混乱した時代、キリスト教が下層民の宗教にとどまっていたのに対し、ローマの国家神として祭られたこともある。
密議の内容は、牡牛を屠り、その脂肪と髄から作られた飲料を飲むと不死となるという類のもので、ローマ帝国でキリスト教が公認される前の3世紀には、ミトラ教(ミトラス教)はローマの神々と融合し、帝国各地に多くの神殿が造られた。しかし、女性の入信を認めないなど、普遍的な信仰となる条件が無く、キリスト教の台頭とともに衰えた。ただし、その儀式などはキリスト教にも影響を与えておいる
- ● クリスマスは異教の祝祭日だった?
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キリスト教ではイエスの誕生日を12月25日とし降誕節(クリスマス)を祝っている(その前日の24日夜がイブ・前夜祭)。ところがローマ時代のアンティオキアなどではクリスマスは1月6日が降誕祭とされていた。12月25日はもとは東方のミトラ教の祝日であった。この日は冬至にあたり太陽が成長を開始する日とみられ太陽神ミトラの誕生の日とされていたのだ。この太陽神ミトラ信仰がローマに入り、帝国の守護神とされ、ローマで盛んに祝われるようになった。やがてミトラ教に代わり、キリスト教が公認されると、教会はこの日をイエスの誕生日として祝うことによってキリスト教の勝利を表明した。
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