Subject   : 海の民

カテゴリー  : 人文 >  


 海の民 
 前1200年頃、東地中海上で活動した系統不明の民族。西アジアに大きな変動をもたらした。

 紀元前1200年頃、東地中海で活動した民族であるが、その系統や実体は不明である。さまざまな名称をもつ民族からなる集団であったようで、原住地は小アジア西海岸とエーゲ海諸島という説が強い。英語で Sea Peoples といわれるので、直訳して「海の民」あるいは「海の民族」と言われている。彼らが移動を開始した理由は不明であるが、飢饉が原因で豊かな土地をめざして移住を企てたものであるらしい。

考古学上の知見によれば、東はメソポタミアから、西はイタリア、フランス、さらにバルト海沿岸地方にまで、この時期に移動と混乱の跡が認められるという。そのなかで、「海の民」は、東地中海を舞台に神出鬼没の活躍をくりひろげる。彼らの攻撃の対象となったのが、ヒッタイト、シリア、エジプトと並んで当時繁栄の余光を保っていたギリシア人の諸王国であった。「海の民」は北方からこれらを襲い、重要な拠点をつぎつぎに攻め落としていく。しかし彼らは、略奪し、火を放って破壊のかぎりをつくしたものの、侵入地に定着し、そこで新しい天地を切り拓いていくという地道な生き方を選ばなかった。彗星のごとくきたり、去っていく――のこるは破壊の跡だけである。

 なお、海の民の一部のフィリスティア人がシリア沿岸南部に上陸した。彼らがペリシテ人と言われるようになり、地中海東岸の現在のガザ地区に定住し、内陸にも進出してセム系民族のヘブライ人と対立するが、彼らが支配した地域をその名からパレスチナというようになる。前11世紀の終わりにはヘブライ人がペリシテ人を抑えてヘブライ王国を建設する。

● ヒッタイトとエジプトに侵攻
 彼らはシリア、パレスチナに上陸してヒッタイトと争い、そのためヒッタイトは滅亡したらしく、さらにエジプト(新王国)に侵入した。エジプトの壁画と碑文にその損害が記録されている。海の民の活動によってヒッタイトとエジプトというオリエントの二大勢力の動揺は、次の前12世紀のオリエント世界全体の動乱の始まりを示すものであった。

● ギリシアへの侵入
 また最近では、ギリシアのミケーネ文明が急速に衰退し、暗黒時代という混乱期となったのも海の民の侵攻が原因とされている。しかし「海の民」はギリシアに定住することなく、その後の前1100年ごろにギリシア人の中の西方方言群に属するドーリア人が南下して定住したと考えられている。

 ⇒ 

[メニューへ戻る]  [カテゴリー一覧へ戻る]  [HOMEへ戻る]