Subject   : 古代ギリシアのポリスの市民

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 古代ギリシアのポリスの市民 
 代表的なポリスであるアテネでは、前7世紀には土地からあがる大麦・小麦・ブドウ酒・オリーブ油などの収穫量によって、市民は4つの等級に分かれていた。第1級は年に穀物500メディムノスを出す土地を持つもので、「500メディムノス級」と言われた。第2級は、500〜300メディムノスの土地を所有し、馬を養い戦争には騎馬で参加するので「騎士級」といわれた。第3級は300〜200メディムノスの土地を持ち、「農民級」といわれた。第4級は200メディムノス以下の小農や手工業者で、「労働者級」といわれた。アルコン(執政官)になれるのは上位2級でこれが貴族、第3級・4級が平民ということになる。

 アテネでは貨幣経済の進展に伴って貴族と平民の抗争が展開され、次第に平民は市民として貴族と平等の権利を獲得し、前508年には民会を中心とするアテネ民主政が確立した。特にペルシア戦争で平民が重装歩兵として活躍し、さらに下層民が三段櫂船の漕ぎ手として勝利に貢献したことを受け、下層市民の発言力が強まり、貴族・平民・下層民の差が無くなって平等な市民社会が実現した。

 ポリスは、主体的な市民によって民主政治が完成しが、在留外人(メトイコイ)には市民権は与えられず、また生産は奴隷に依存する奴隷制度の社会であった。またポリス市民といった場合、それは男性をさすのであり、女性は市民権を持たなかった。なお、ペリクレス時代の前451年には市民権法が制定され、両親ともアテネ市民であることが条件とされた。

● 貴族(ギリシア)
 古代ギリシアの代表的なポリスであるアテネにおいては、ポリスの市民には4等級があり、アルコンや上級の役職に選出される第1級と、騎兵としてポリスの防衛に参加し、国制に発言権を持つ第2級の騎士級にあたる人びとが貴族とされた。かれらが当初のアテネで寡頭支配を行いったのが貴族政の時代である。その下の第3級、第4級にあたる人びとは平民とされた。

● ポリスの平民
 はじめは貴族に支配されていたが、次第に奴隷所有を通じてクレーロスを耕作して経済的に自立するようになり、武器の価格下落にともない武器を自弁できるようになって、重装歩兵としてポリスの防衛に参加し、民主政の担い手となっていく。平民の中での貧民(下層市民、無産市民とも)は、ペルシア戦争の時期に、三段櫂船の漕ぎ手として活躍するようになって発言権を増していき、前6世紀末にアテネ民主政が確立する。

● メトイコイ
 古代ギリシアのポリスの住民で、在留外人(ギリシア人で、他のポリスの出身者)のこと。自由民ではあるが、市民権はなく、民会への参加などの参政権は認められなかった。アテネでは1ヶ月以上滞在した外国人はメトイコイとして登録され、所定の人頭税を払えば、法的保護を受けて在留できた。また、奴隷が解放された場合も、メトイコイとして扱われた。メトイコイはポリス内での土地所有は認められなかったので、主として商業や芸術、学問に従事した。哲学者アリストテレスも、アテネにおいてはメトイコイであり、市民権はなかった。

 ⇒ アテネ

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