Subject : ディオニュソス神の祭典
カテゴリー : 人文 >
ディオニュソス神の祭典
-
古代アテネの国家的な祭りの一つで毎年3月に行われたディオニュソス神をまつる祭り。正式には大ディオニュシア祭という。民主政治が最も盛んであった前5世紀のペルシア戦争の後の時期に最も盛んになった。ディオニュソス神は別名バッカスともいう酒の神であるが、同時に演劇の神でもあり、4日間の祭りの期間に、まず3日間は一日に一人の悲劇作者が三本の悲劇と1本の滑稽劇を上演し、残りの1日で一人の悲劇作者が1本ずつ5人分が上演された。これらは競演の形をとり、それぞれ優劣が決められた。
紀元前5世紀のアテネには、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの三大悲劇詩人と喜劇のアリストファネスがでて、ギリシア演劇を完成した。彼らの作品はディオニュソス神の祭典での競演のために創作され、市民のあいだから選挙と抽選の二重の手続きで選ばれた審判員の秘密投票で優劣の順位が決められた。ギリシア劇には役者のほかに大勢の歌舞、合唱の隊員が必要であるが、この隊員や役者の衣装の調整、練習期間の給養という金のかかる仕事(合唱隊奉仕)には、富裕市民が輪番で奉仕した。芝居見物が市民にとっての最大の娯楽であるとともに一般教養を高める機会であったことは、たとえば喜劇が言論の自由に恵まれておこなった辛辣な政治批評や人物評論を一考すればたりよう。かような娯楽をすべての市民にわかちあたえるために、アテネ当局(ペリクレス)は観劇入場料(テオリコン)を市民の誰にでも支給するという文化政策を始めた。その主旨は立派だったが、のちにはこれから、市民大衆のあいだに国家による享楽という悪い傾向が生まれてくる。
- ● アイスキュロス
-
アテネの悲劇作家。ギリシア演劇の全盛期にあたり、ソフォクレス・エウリピデスとともに三大悲劇作者の一人とされる。若い頃は重装歩兵としてマラトンの戦いに参加した。前484年、競演(アゴン)の悲劇部門で第1位となったが、前468年にはソフォクレスに敗れている。90編以上の作品を書いたらしいが、現存するのは7編だけ。代表作は『縛られたプロメテウス』、『アガメムノン』など。
- ● ソフォクレス
-
アテネの悲劇作家で、ギリシア演劇の三大悲劇作者の一人とされアイスキュロス・エウリピデスと並び称されている。アイスキュロスより一世代若く、前468年に彼を破って作劇の競演に勝ち、第一線に立った。ソフォクレスは合唱隊を複数にするなどの手法の革新を行い、大衆にも受け入れれれた。代表作は『オイディプス王』、『アンティゴネー』などでいずれも神話に題材を取り、人間の残酷な運命を凝視している。劇作家として以外にもアテネ市民に人気があり、将軍職の一人に選出されたりしている。
- ● エウリピデス
-
アテネで活躍したギリシア演劇の作者であり、アイスキュロス・ソフォクレスと並んで三大悲劇作者の一人とされる。ソフォクレスより若いが没年は同じ前406年であった。ソフォクレスに比べて大衆的な人気はなかった。代表作は『メディア』、『バッカスの女たち』などで、古い伝統にとらわれず、世相を反映した台詞を取り入れ、現実に切り込むような作風であった。
⇒
[メニューへ戻る]
[カテゴリー一覧へ戻る]
[HOMEへ戻る]